歯科医院でのSARS感染に対する危機管理
(日本口腔感染症学会 平成15年5月19日)

I. はじめに

 重症急性呼吸器症候群(SARS)の患者さんが歯科医院を受診することはあまり考えにくいですが、SARS発生地域へ渡航したり、SARS患者との接触した可能性のある人で自覚症状のまだ出ていない潜伏期の人や、軽い症状があったとしても医療機関を受診していないために自分が「SARS疑い例」や「SARS可能性例」であるという認識のない患者さんが歯科治療を求めて受診する可能性はあるかもしれません。そこで、受診した患者さんが歯科医院での院内感染源とならないように、普段から最新の情報を整理して対策を考えておく必要があります。

II.  SARSの症状と定義(WHOの症例定義(5月1日WHO改訂))
 2002年11月1日以降に、(1)38度以上の急な発熱、(2)咳、呼吸困難などの呼吸器症状を示して受診した患者で、かつ、(1)発症前10日以内に、原因不明の重症急性呼吸器症候群の発生が報告されている地域に旅行、または居住していた者 (2)発症前10日以内に、原因不明の重症急性呼吸器症候群の症例を看護・介護するか、同居していたか、患者の気道分泌物、体液に直接触れた者、のいずれかを満たす者」を「疑い例」としています。
 さらに、「疑い例」のうち「(1)胸部レントゲン写真で肺炎、または呼吸窮迫症候群の所見を示す者 (2)病理解剖所見が呼吸窮迫症候群の病理所見として矛盾せず、はっきりとした原因がないもの (3)SARSコロナウイルス検査(PCR検査、ウイルス分離、抗体検査)の1つ、またはそれ以上で陽性となった者」のいずれかの条件を満たす者を「可能性例」としています。

III. 感染源と感染経路
 現在、すべてが解明されたわけではありませんが、SARSの原因として中心的役割を果たすのは、新型のコロナウイルスと考えられています。感染経路としては、空気感染も否定できないものの、主要な感染経路は、飛沫感染、接触感染と考えられています。なお、「空気感染」とは、「感染性の病原体が空気媒介飛沫核となって長時間空気中に浮遊し、空気の流れにより広く拡散し、吸入により感受性のある者に感染する」感染様式であり、一方、「飛沫感染」とは、「咳、くしゃみ、会話の際に、感染源となる患者より発生する病原体を含む飛沫粒子が感受性のある者の気道に感染する」感染様式です。飛沫感染の場合は、飛沫粒子は空気中を浮遊せず、通常約1メートル程度までしか飛ばないと考えられていますので、飛沫感染はそれ以上密な接触をする場合に起こると考えられます。

IV. 歯科医院での対策指針
 これまでの歯科における院内感染予防は、おもに血液を介して感染する肝炎ウイルスやHIVウイルスなどの対策に主眼がおかれており、SARSのようにその感染経路が飛沫感染、接触感染あるいは空気感染によって伝播する呼吸器感染症対策ははっきりいって不十分です。これは、歯科だけでなくほとんどの一般医療機関にも言えることです。したがって、院内感染予防の観点から現時点では、SARS感染の可能性が疑われる場合にはその疑いが晴れるまで歯科治療を延期するのが好ましいと思われます。

V. 歯科医院での具体的な対応

発熱があり咳やくしゃみをしている患者さんには、受付でマスクをわたしてすぐに装着してもらい、診察室に入る前に問診を行う。
 (「日本医師会感染症危機管理対策室では一般医療機関の外来入り口に、SARSの症状、伝播確認地域を示し、該当する患者さんは事前に連絡のうえ、マスクを着用して受診することを掲示する」というように、症状のある患者さんには院内に入る前にマスクの着用をすすめている。
歯科医院では、「最近、SARS確認地域への渡航暦のある患者さんは受付に申し出てください。」というような掲示で十分のように思われる。)

問診は、過去10日間の旅行歴や旅行中に呼吸器症が強い患者さんとの接触の有無について詳細に行う。

SARS伝播確認地域への渡航暦がある患者さんで、帰国後10日以上経過していない場合には、SARSの潜伏期(およそ3−6日)を考慮して10日以上経過するまで受診を延期してもらうよう説明をする。10日間以上にわたって症状のなかった患者さんは通常どおりの治療を行う。

SARS伝播確認地域への渡航暦のない場合でも、受診時に発熱や咳、くしゃみなどの症状のある患者さんについては、できれば治療を延期する。どうしても処置が必要な場合には必要最低限の処置にとどめる。

歯科医院での問診によってSARSが疑われるような場合には、まず保健所に問い合わせ、専門の医療機関の受診について保健所の指示に従う。当該患者さんには、マスク着用、手洗いの励行等の個人衛生的な生活に努め、人ごみや公共交通機関の使用をできるだけ避けるよう指導する。
(これまでの知見では、有熱前駆期での感染の危険性は、肺炎期に比べて低いと考えられている。また。発熱後3日程度で症状が軽快した場合は、SARSの可能性は少ないと考えられている。)

歯科医院の問診でSARSが疑われるような場合には、患者さんが手で触れたものはすべて消毒する。また、その後の検査で当該患者さんがSARSであることが確定した場合には、関係行政(保健所)の指示に従う。
(消毒方法については、厚生労働省医薬局安全対策課による院内感染防止対策を参照されたい。グルタラール、次亜塩素酸ナトリウム、消毒用アルコール、ポピドンヨードなど通常歯科医院にある消毒薬が有効。室内の消毒には次亜塩素酸ナトリウムやアルコールによる清拭を行う。錆びる恐れのある金属などにはグルタラールや消毒用アルコールを使用する。)


 VI. 参考資料

1)

日本医師会感染症危機管理対策室、一般医療機関における重症急性呼吸器症候群(SARS)への対処指針、平成15年5月9日(改訂版)

2)

厚生労働省医薬局安全対策課、原因不明の「重症急性呼吸器症候群」による院内感染防止対策の徹底について、平成15年5月9日