集団接種とB型肝炎

愛媛労災病院 篠 崎 文 彦

6月中旬「B型肝炎ウイルスに感染したのは注射器の使いまわしによる集団予防接種が原因だ」とした訴えに対し最高裁は「集団接種による感染だった」として国の賠償責任を認定した。判決によると集団予防接種は1948年(昭和23年)に法制化され1953年(昭和28年)ごろには注射針の連続使用により血液を介してB型肝炎ウイルスに感染する危険性について医学的知見が確立していたと言う事が認められこのような判決が出たようである。
確かにわれわれが子供のころ蔓延していた結核予防のためツべリクリン反応、BCGワクチン、天然痘予防のための種痘などを学校で毎年やっていたことは間違いない。当時は小学校でも中学校でも人数が多く街中の学校では一学年5クラス、6クラスはあたりまえで中学校にいたっては10クラス以上あるところもあった。このような状況下われわれは長い列を作り注射針を交換することなく、針先をエタノールで消毒するだけで次から次へ注射をされた。戦後復興のさなか今のようなディスポーザブル製品はなく、注射器はもちろんガラス、針も注射器も煮沸消毒を行って再使用というのが当たりまえであった。日本はまだ貧しく何100本もの注射器や注射針を用意して予防接種に出かける病院や診療所の医師は誰もいなかったし、また物理的にもそのようなことをするのは不可能であったように思う。
一方ウイルス肝炎の研究もそれほど進んでいなかった。1940年代は「流行性の黄疸とか流行性肝炎、伝染性肝炎」とこれとは違う肝炎「血清肝炎」があることがおおよそ検討はついていたようだかその原因がウイルスによるものとまでは証明されていなかった。1940年後半から1950年代にかけて潜伏期の短い肝炎(A型)と潜伏期の長い肝炎の区別をはっきりさせるために肝炎を発症した患者の血清をボランティアに対して人体に接種したり経口的に与えたりする人体実験が行われ、少しずつその本体、性質が明らかにされてきた。1944年イギリスのMcCollum1)は一連の感染実験の結果に基ついて病原体は不明のままその臨床像から当時伝染性肝炎と呼ばれていたものをA型肝炎もう一方をB型肝炎と呼ぶことを提唱した。1950年代後半から1960年代にかけてアメリカのKrugman2)らのグループは精薄児の収容施設や刑務所の受刑者たちに潜伏期の短い肝炎を起こす感染性の血清「MS-1」と潜伏期の長い肝炎を起こす「MS-2」を分離して二つの血清による交叉感染実験を行い血清型の異なる肝炎がある事を明らかにした。これがA型肝炎、B型肝炎を決定的なものにした。しかしこれらの人体実験は肝炎ウイルス解明に大きな成果をあげたが後にかなりの批判をあびた。その後A型肝炎ウイルスは血液中のみならず糞便中に大量に放出されていることも判明し精薄施設での蔓延を裏付ける結果となった。
1970年になってDane3)らは電子顕微鏡を用いてB型肝炎ウイルスの本体をつきとめた。直径42nmの2重構造のウイルス粒子と、平均直径200nmの小型球形粒子および種々の長さの管状粒子があることも明らかにした。そしてこれらをDane粒子と命名した。1973年にはFeinstone4) らもやはり電子顕微鏡を用いて糞便からA型肝炎のウイルス検出に成功している。
一方B型肝炎ウイルスの発見の発端は直接肝炎とは関係のない研究から始まっている。Blunberg(1967)5)らは頻回に輸血を受けた血友病患者の血清中の抗体に反応する抗原がオーストラリア原住民の血清にあることをたまたま発見しオーストラリア抗原と命名した。この抗原は当初白血病との関連が考えられていたようだがダウン症候群患者や肝炎患者にも検出されることが判明した。間もなくPrince(1968)6)や日本のOkochiら(1968)7)がB型肝炎ウイルス関連の抗原であることを明らかにした。これら一連の研究からB型肝炎ウイルスの抗原・抗体系が明らかにされ検査も可能となった。そしていわゆる無症候性B型肝炎ウイルスキャリアー(持続感染者)がいることも判った。これらの人達は外見上全く健康で肝機能検査でも殆ど異常がないため自分自身がウイルスキャリアーである事の認識はなかった。その当時わが国には200万人から300万人のウイルスキャリアーがいたと推定されている。このウイルスキャリアーが問題で当時は検査法も確立されておらずウイルスキャリアーの存在すらも知られていなかった。後になって判ったことではあるがウイルスキャリアーの殆どは母児間感染に由来している。経産道的な感染やいわゆる免疫学的に寛容な乳幼児時期に感染してキャリアー化している。予防接種が行われた児童、生徒はもう既にかなり自己の免役能が確立されており、たとえ感染して急性肝炎を発症したとしても大半は完治しキャリアー化することは殆どなかったはずでる。また不顕性感染して自然に抗体を作っているものもある。予防注射に際しいつまで注射針を交換することなく次々に接種していたかは定かでないが少なくとも1955年(昭和30年)代まではエタノールで針先を簡単に消毒して再使用していたように思う。
以上が大まかなA型肝炎、B型肝炎ウイルス発見に至るまでの歴史と予防接種による感染の経緯であるが、これを見ても判るように1953年頃に注射針によるウイルスの伝播を医学的に医師を始めとした医療従事者にどれ程認識されていたか、また敗戦後のわが国において予防接種に注射針をひとり一人交換して行うには物理的にも経済的にも無理であったと思われ、せいぜいエタノールで針先を消毒するのが精一杯であった事が想像される。このようななかで予防接種に起因してB型肝炎ウイルスに感染しウイルスキャリアーとなり肝硬変や肝がんになった方々は本当にお気の毒ではあるが、予防接種に際し注射針や注射筒をひとり一人交換する事が当時の医学的水準であったかが問題である。しかし判決文によると国は1958年(昭和33年)に予防接種には針を一人ずつ交換するよう予防接種実施規則を改正し、さらに注射筒を含めて患者ごとの交換に通達を出したのが1988年(昭和63年)であったという。
今回は医師個人が訴えられたのではなく国の医療行政が問題となったわけで行政側として医師を指導しなかったことが争点となり敗訴した。B型肝炎は母児間感染のほか注射や輸血などの医療行為で感染する以外に性行為や針治療、刺青、ピアスなどでも感染することがわかっており感染経路全てを特定することはできない。このような状況下で最高裁判決は原告患者全てを「集団接種が原因」と認定し一人当たり550万円の支払いを命じた本判決に対し当時学校などへ予防接種にでかけた医師達はこの判決をどう受け止めるであろうか。 
参考文献
1)MacCollum,F.O.,Bradley,W.H.,:Transmission of infectious hepatitis to volunteers Lancet, ii:228,1944
2)Krugman,S.,Giles,J.P.,Hammond,J.:Infectious hepatitis,Evidencefor two distinctive clinical epidemiological and immunological types of infection. JAMA 200:365-373,1973
3)Dane,D.S., Cameron,C.H. and Briggs,M.:virus-like particles in serum of patients with Australia-antigen-associated hepatitis. Lancet 1:695-698,1970
4)Feinstone,S.M.,Kapikian,A.Z.,and Percell,R.H:Hepatitis A:detection by immune electron microscopy of a virus-like antigen associated with acute illness. Science 182: 1026-1028, 1973
5)Blumber,B.S,Alter,H.J. and Visnich,S.:A “new” antigen in leukemia sera, JAMA 191:541-546, 1965
6)Prince,A.M.: An antigen detected in the blood during the incubation period of serum hepatitis.Proc. Natl.Acar.Sci. USA., 60:814,1968
7)Okochi,K. and Murakami,S.: Observation in Australia antigen in Japanese. Vox.Sang 15:374-375, 1968