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HIV感染症/AIDSの現状と今後の課題
独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター
HIV/AIDS 先端医療開発センター長
白 阪 琢 磨
1. はじめに
後天性免疫不全症候群 (Acquired immunodeficiency syndrome : AIDS) は1981年に米国で初めて報告され、 1983年にヒト免疫不全ウイルス (human immunodeficiency virus : HIV) が AIDS の原因ウイルスとして分離同定された。 その後、 米国を中心とする世界の科学者たちが AIDS に関する多くの科学的謎を解明し、 治療薬も次々と開発された。 しかし、 未だに人類は HIV 感染の蔓延をくい止める事ができず、 AIDS は世界的対策が必要な三大感染症の一つと位置づけられている。 世界の15歳から59歳以下の死因の第一位が AIDS であり (図1)、 世界で約4000万人 (2004年末現在) が HIV に感染と推定されている (図2)。 その多くはアフリカ大陸とアジア大陸に居住している。 HIV が蔓延した国の中には、 AIDS 死亡者数の増加によって、 生産人口の減少、 平均余命の短縮など国家の存亡さえ危惧されている国もある (図3)。 疫学的研究から、 今世紀、 アフリカに続いてアジアで感染爆発が起こると予言されており、 アジアの国々と深い交流のある日本にも、 アジアの感染爆発の波は必ず押し寄せて来ると予測され、 対策が必要である。
さて、 HIV 感染症の予後は、 1996年頃に登場した HAART (Highly active antiretroviral therapy) によって著しく改善し、 HIV 感染症は慢性疾患と捉えられるまでになった (図4)。 しかし、 現在の抗 HIV 薬は治癒薬ではなく HIV の増殖を抑える薬であり、 服薬は長期におよぶ。 従って治療には長期の治療継続の困難さ、 出現する副作用、 一人当たりの生涯の薬剤費が約1億円と高額であるなどの課題が残されている。 多くの先進諸国で年間の新規 AIDS 患者数が減少し続けているが、 日本では AIDS の新規報告数が増え続けているとの指摘がある (図5)。 AIDS 年間新規報告数が増加し続ける要因は色々と考えられるが、 市民が HIV 感染を他人事と考え safer sex を実践できていない点、 抗体検査体制が不十分で早期発見できていない点、 HIV 感染症/AIDS に関する正しい知識が無く、 いきなり AIDS を発症するまで HIV 感染に気づかない点等が考えられる。 発展途上国、 先進国、 わが国にとって HIV/AIDS 克服は引き続き大きなチャレンジと言えよう。
2. わが国の感染者数の動向
わが国のエイズ動向委員会の報告によれば HIV 感染者数、 AIDS 患者数は年々増加し (図5)、 さらに供血者での HIV 陽性率も年々増加し続けているのが現状である (図6)。 平成9年に近畿ブロックのエイズ治療地方ブロック拠点病院に選定された当院の HIV 診療状況を簡単に示す。 累積受診患者数は平成16年末に650名を越え、 平成19年には1000人を越えると推定される。 外来受診患者の9割は男性であり、 感染経路の多くは性的接触、 年代別では30歳代が4割、 20歳代が2割であり、 20歳代〜40歳代あわせて8割を占める (図7)。 入院患者の多くは病状が改善し退院しているが、 AIDS 発症入院患者の16%が死亡退院であった (図8)。 大阪府の報告を見ると、 感染者の年間報告数は3年連続して東京に次ぎ2位であった。 一方、 大阪府の AIDS 患者の年間報告数は、 平成14年には全国2位であったが平成15年は4位へと減少した。 累積数で見ても、 大阪府の感染者数は東京に次いで2位であったが患者数は6位であった。 この開き理由としては大阪での感染者が近年急激に増えているか、 早期発見によって発症者数が伸び留まっているか等が考えられる (図9)。 大阪で抗体検査は保健所などに加え夜間や土曜日、 日曜日の検査所で毎週実施されており (図10)、 さらに、 性感染症専門医や一般診療医の HIV への関心が高く早期に発見でき、 NPO によるコミュニティーへの働きかけの取り組みも抗体検査受検を促している。 これらの取り組みが結果として、 大阪では HIV 感染者を早期に発見できている可能性がある。 2010年には国内の HIV 有病者数が5万人になるとの推定がある (図11)。 今後の総合的取り組みが重要である。
3. HIV 感染症の診断と病態
1) HIV 感染症の診断
診断は抗体検査が原則である。 抗体検査はスクリーニング法と確認法 (ウエスタンブロット法など) からなる。 スクリーニング法で陽性であれば確認検査を実施する。 確認検査の結果は陽性、 保留、 陰性のいずれかに判定される。 陽性は確定であるが、 window period があるため、 保留や陰性では急性感染である場合がある。 急性感染の診断には RT-PCR 法を用いたウイルス量測定が有用である。 時間を経て抗体検査を再検査し診断できる場合もある。 HIV 感染者であった場合には陽性であった事を本人に告知し、 HIV 感染症の治療法、 予後、 日常生活の注意点などを簡明に伝える。 告知直後には臨床心理士などの心理カウンセラーによるカウンセリングが必要な場合が少なくない。 なお、 保健所、 夜間検査所などでの抗体検査 (匿名、 無料) の場所や実施日時は、 厚生労働省科学研究費補助金エイズ対策研究事業 「HIV の検査法と検査体制を確立するための研究班」 のホームページ (HIV 検査・相談マップ http://www.hivkensa.com/) に地域ごとに詳細な情報が掲載されているので参照されたい。
2) 免疫と HIV 感染症
ヒトは多くの微生物と共に生活している。 病原体が侵入門戸を経て体内に侵入しても、 ヒトの免疫の働きによって病原体を排除あるいは死滅させ、 もし、 感染症が生じても速やかに、 治癒せしめる。 場合によっては再感染を許さなくする事もできる。 ワクチンによって天然痘を撲滅でき、 インフルエンザの被害を小規模にくい止められているのも、 免疫のおかげである。 さて、 HIV が性行為などによってヒトの体内に侵入し免疫担当細胞 (CD4 陽性Tリンパ球細胞や単球/マクロファージ細胞など) に感染すると種々のメカニズムで細胞性免疫機能を徐々に障害させ、 やがて感染者を免疫不全に陥らせる。 この状態では日和見感染症や日和見悪性腫瘍が生じ、 無治療では死に至る。 すなわち、 HIV 感染症の本態は、 HIV による進行性の細胞性免疫不全であり、 23の特徴的指標疾患が出現すれば AIDS と診断できる (図12)。
3) 臨床病期
HIV 感染症の臨床病期は、 急性感染期、 無症候性キャリア期、 AIDS 期の3期に分類できる (図13)。 ( i )急性感染期 これまでの報告によれば40%〜90%の感染者で、 感染の2〜6週後にウイルス血症を伴った急性症状 (表-1) を認めるという。 HIV の急性感染と他疾患との鑑別は症状や通常の検査からだけでは困難な場合が多い。 (ii) 無症候性キャリア期 急性期の症状は自然に軽快、 消失し、 やがて無症候性キャリアの病期に進む。 HIV 感染症の特徴の一つにこの時期が5〜10年と長いことがあげられる。 また HIV 感染者の中には無治療でも10年以上 AIDS 発症しない者 (長期未発症者) が全体の約7%ほど居る事も明らかとなってきた。 HIV 感染症患者の多くは無症候性キャリアの時期にあるので、 一般診療で HIV 感染症患者に遭遇する場合、 多くは無症候性キャリア期の感染者であると予想される。 この病期の患者は自覚症状が無いが、 体内では HIV によって免疫機構の破綻が徐々に進行していることが明らかになっている。 (iii) AIDS 期 HIV による免疫機能障害がさらに進むと、 日和見感染症や日和見悪性疾患が出現してくる様になる。 23の定められた指標疾患の一つが出現すると AIDS と診断される (表-2)。 CD4 陽性T細胞数は、 日和見疾患の出現頻度との相関が知られており、 日和見疾患の鑑別の参考になる (図14)。
4) 感染経路
感染経路は主に ( i ) 性行為 (ii) 血液媒介 (iii) 母子感染の3つがある (図15)。 血液媒介としては HIV 混入血の輸血、 成分輸血、 非加熱凝固因子製剤の投与、 麻薬静注者などでの注射針の回し打ち、 医療事故などがある。 過去に HIV 混入非加熱凝固因子製剤による HIV 感染被害があったが、 現在の加熱凝固因子製剤による HIV 感染は生じていない。 HIV は水や乾燥に弱いウイルスであり、 公衆トイレの共用やプール、 軽いキスなどでは感染しない。 昆虫の媒介や動物からの感染は報告されていない。 また、 このウイルスは患者の血液、 精液、 膣分泌液に存在するが、 汗、 唾液、 涙からの感染の畏れはない。 感染防止の観点から感染リスクを伴う性行為を避ける事が重要である。 医療上は上記に加え、 胸水、 腹水、 髄液などの体液も感染性があるので、 いわゆる標準予防策で対応する。 なお、 血液、 体液などの感染性は患者の血中のウイルス量と概ね相関すると考えられている。
5) HIV の自然史 (ライフサイクル)
HIV の自然史を図に示した (図16)。 HIV は細胞表面の CD4 分子やケモカイン・レセプターを介して細胞内に侵入し、 細胞内で脱殻する。 遺伝情報はウイルス RNA から HIV の酵素である逆転写酵素 (Reverse transcriptase : RT) によって DNA に逆転写され、 二本鎖の DNA となる。 このプロウイルス DNA は核内に移り、 HIV の酵素インテグラーゼによって染色体の宿主 DNA に組み込まれる。 宿主は組み込まれた DNA を鋳型として複雑な方式で RNA に転写し、 さらにウイルスの前駆タンパクを産生する。 前駆タンパクは HIV のプロテアーゼによって適切な部位で切断される。 HIV はウイルス RNA、 タンパクなどを取り込んで発芽、 成熟していく。 RT は error prone である上に修正機能が無いため、 逆転写の段階で高頻度に変異が生じる。 HIV は、 この高変異性のために薬剤耐性を獲得しやすい。
6) HIV の体内動態
外見上健康に見える無症候期でも、 HIV はリンパ組織で盛んに増殖し免疫機構を破壊している事が知られている (図17)。 一日に約1010 個ものウイルス粒子が産生されるが、 ウイルス粒子の半減期は数時間とされ、 血中のウイルス量は両者のバランスにある。 HIV が感染した CD4 陽性 T リンパ球細胞の半減期も概ね1日強と短い。 一方、 静止期にある CD4 陽性細胞の半減期は平均43.9ヶ月と報告され、 これらの細胞が体内に105 個あると仮定すると、 体内から HIV 感染細胞が全て消滅するには約60年かかるので、 生涯の服薬が原則とされている (図18)。
4. HIV感染症の治療
HIV 感染症の治療は、 合併する日和見疾患の治療と HIV の増殖を抑える抗 HIV 療法に大別される。 1996年頃、 HIV プロテアーゼの働きを抑えるプロテアーゼ阻害剤 (PI) が登場し、 それまでの RT 阻害剤の二剤併用療法に第3剤目として併用された。 従来の RT の併用療法に比べて、 三剤併用療法は臨床マーカー (血中の CD4 陽性T細胞数、 HIV のウイルス量) 等で明らかに優れたものであった。 PI を含む三剤併用療法は 「優れた抗ウイルス効果を持つ」 という意味合いで HAART と呼称された。 ただ、 PI は服用が困難 (摂食の必要性、 服薬時間遵守、 大量の水分補給、 大きな剤型、 多い錠剤数など) であり、 短期、 長期服用で種々の副作用が出現するなど克服されるべき課題も多い。 抗 HIV 剤の服薬アドヒアランス (遵守率) が低下すると耐性変異ウイルスが出現し治療が失敗する場合が少なくなく、 抗 HIV 療法では他疾患以上に服薬行為そのものの重要性が認識されている (図19)。 薬剤開発が進み、 現在までに20剤にも及ぶ抗 HIV 薬が承認され、 最近では、 一日一回の服薬も可能となった。 最近の新薬は副作用も以前よりは軽度であり、 以前に比べれば改善された (図20)。 海外では HIV が CD4 陽性細胞に侵入するポイントを阻止する侵入阻止薬 (T-20) も承認され、 さらにインテグラーゼ阻害剤など新規抗 HIV 薬も現在、 開発中である。
さて、 HAART の開始時期については、 HAART が登場した当初は早期開始が勧められた。 しかし、 服薬期間は長期にわたること、 服薬は容易でなく副作用も多いこと、 服薬が種々の理由で不確実になると薬剤耐性 HIV 変異株が出現し次の治療に不利になることなどが明らかになった。 しかも、 HAART の開始時 CD4 値と3年後の予後との関連の分析から、 CD4 値が200未満では治療開始でも予後は悪く、 350以上では予後良好との結果が得られた (図21)。 これらの事から、 ガイドラインでは、 CD4 値が200/μl未満であれば HAART を開始し、 250から350/μl未満であれば準備が整い次第開始とされている (図22)。 実際には、 まず CD4 値を目安に HAART の必要性を考え、 次に、 服用しない場合の不利益と、 服用で期待される効果、 継続服用が可能かどうか等を総合的に判断して、 個々に HAART を実施している。 ガイドラインは、 新薬の登場、 臨床知見の蓄積から、 組合せ、 開始時期などの変更が今後も続くと予想され、 診療従事者は up-to-date な情報を入手する必要がある。
5. HIV感染予防
本稿では母子感染予防と医療暴露での感染防止について述べる。 1994年、 米国の臨床試験 (PACTG076) によって AZT の予防内服が母子感染率を70%減少できる事が示された。 その後、 妊婦の血中ウイルス量が低値であれば母子感染が少ない事が明らかにされ、 現在では、 妊娠中期以降に HAART を開始し、 分娩は帝王切開とし、 母乳は与えないなどの方法で、 母子感染をほぼ防止できるようになった (図23、 図24)。 米国の医療機関で針刺し事故などの医療暴露が約2000例報告された。 この前向き調査によって HIV 感染率が0.32%であり (図25)、 事故後に AZT の予防内服で感染率が80%減少できた事が明らかになった。 最近では事故直後に患者の治療状況 (CD4 値、 ウイルス量など)、 受傷程度などから感染の危険性を予測し、 HIV 感染の予防内服を行うかどうか、 服用の場合は二剤か三剤かなどを判断する様にマニュアル化されている。 内服時期は早い程良いが、 遅くとも72時間まで、 服用期間は1ヶ月間とされている。 標準的な服薬内容は AZT、 3TC、 NFV であるが、 薬剤耐性 HIV の場合には別の抗 HIV 剤の服用を勧める場合もある。 職業暴露後の抗体陽性率の比較から、 事故での感染性は HBV、 HCV、 HIV の順に低いとされている。 しかし、 血液、 体液を取り扱う場合には window period の観点からも、 感染症の種類や有無で感染防御方法を替えるのではなく、 標準予防策で対応する事が重要である。
6. おわりに
HAART の登場で HIV 感染症は医学的にコントロールが可能な慢性疾患になった。 しかし、 実際には副作用、 服用困難、 薬剤耐性 HIV、 免疫再構築症候群の出現などがあり、 治療は必ずしも容易ではない。 HIV 感染症の予後は改善したが、 AIDS 発病で入院した患者では少なからず死亡例があり、 AIDS は依然として予後不良の疾患と言わざるを得ない。 このまま感染が拡がれば平成30年頃には、 わが国の AIDS 発病者数は5万人とも推定されている。 診療機関、 診療医等の確保と莫大な医療費の発生が問題となると予想される。 理論的には HIV 感染も AIDS 発病も100%予防出来る筈であり、 市民が本疾患に関心を持ち、 真剣に対応していく事が必要と考える。
参考文献
1. UNAIDS. AIDS EPIDEMIC UPDATE 2004
2005 (http://www.unaids.org/wad2004/report.html)
2. UNAIDS . UNAIDS 2004 Report on the global AIDS epidemic 2004
3. 平成15年エイズ発生動向年報 (平成15 (2003) 年1月1日〜12月31日)
平成15年4月26日 厚生労働省エイズ動向委員会
4. 白阪琢磨:後天性免疫不全症候群、 総合臨床52:1066−1072, 2003
5. Perinatal HIV Guidelines Working Group. Recommendations for Use of Antiretroviral Drugs in Pregnant HIV-1-Infected Women for Maternal Health and Interventions to Reduce Perinatal HIV-1 Transmission in the United States February 24, 2005
6. Centers for Disease Control and Prevention. Updated U.S. Public Health Service Guidelines for the Management of Occupational Exposures to HBV, HCV, and HIV and Recommendations for Postexposure Prophylaxis. MMWR 2001;50 (No. RR-11)
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