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はじめに
平成13年9月に千葉県で日本第一頭目の狂牛病、 正式名称では牛海綿状脳症 (以下 BSE) に罹患した牛が発見された。 さらにその後も、 BSE 罹患牛の発見が相次ぎ、 日本中にプリオン病に対する懸念が広がっている。 その一因は、 英国における変異型 CJD と呼称されるヒトのプリオン病が、 BSE に由来すると考えられているからである 1,2)。 プリオン病は、 ヒト及び動物における神経変性疾患の一群の呼称であり、 プリオン蛋白がその病因に関与することが明らかにされてきている 3−6)。
この疾患群には、 ヒトにおけるクールー、 クロイツフェルト=ヤコブ病 (CJD)、 略してヤコブ病と呼称される病気がその代表として挙げられる。 CJD には、 ウシの BSE に由来するとされる変異型 CJD (variant CJD, vCJD)以外に、 原因不明の孤発性、 ゲルストマン症候群 (GSS)、 家族性致死性不眠症 (FFI) といった遺伝性を有する家族性、 あるいは 感染性に分類される。 の感染性のタイプには、 食人習慣に伴うクールーや医療行為による医原性プリオン病 (乾燥硬膜移植後 CJD、 いわゆる薬害ヤコブ病など) が挙げられる (図-1)。 その他には、 200年以上以前からその存在が知られていたヒツジのスクレイピー、 さらには米国で今一番問題となっている野生鹿のプリオン病である CWD などが挙げられる。
プリオンは“proteinaceous infectious particles”(感染性を持つ蛋白質粒子)から作られた造語である 7)。 その命名者であるスタンレイ=プルシナー博士 (1997年度ノーベル医学生理学賞受賞) は,それまで猿等を用い年余の単位でしか判定が不可能であったプリオン感染性の評価に、 ねずみなどの小動物を用いると同時に潜伏期間と感染力価とを相関させることで、 本疾患の解析の能率を一挙に月の単位にまで飛躍的に向上させることに成功した。 その結果、 彼は感染力価がプロテアーゼ抵抗性の蛋白質と相関し核酸画分とは関連がないこと、 感染性は蛋白質不活化条件により消失するが、 核酸不活化条件下では変化しないことなどより、 本疾患の原因として蛋白質のみが関与するという前例のない疾患概念を提唱した。
当初、 この概念は生物学のセントラルドグマに反するものとして疑問視され、 1985年、 正常個体にもプリオン蛋白が存在すること (正常プリオン蛋白 (PrPC))、 及び病的感染性プリオン (前述のごとく PrPSc) とはアミノ酸の一次構造上相同であることが判明するにいたって頂点に達した 8)。 しかしその後、 PrPSc は宿主ゲノムにコードされている PrPC のアイソフォーム型蛋白であり、 両者にアミノ酸一次構造上の差異は認められないが、 タンパク質分解酵素に対する部分抵抗性、 界面活性剤への不溶性及び感染性の有無により両者は区別されること、 PrPC のβシート型構造が3%以下であるのに対し PrPSc では40%以上と著増しており、 蛋白高次構造の変化がその背景にあると考えられること、 などが明らかになり、 PrPSc が鋳型となった PrPC の高次構造変換が PrPSc 複製機構そのものである、 との概念は現在では広く受け入れられている (図-2) 3−6)。 実際、 PrPC をノックアウトしたマウスには PrPSc は伝幡しないことや 9)、 アミノ酸変異を持つ PrPC を発現するトランスジェニックマウスが伝幡性プリオン病を自然発症する事実 10) は、 この概念の正当性を強く支持する。
変異型 CJD の診断 BSE に由来するとされるヒト変異型 CJD は、 従来から見られる古典的な孤発性 CJD とはその臨床像にかなりの隔たりが認められる。 図-3に変異型 CJD と孤発性 CJD の臨床症状の比較、 図-4に変異型 CJD の診断基準を示す 11) 。 詳しい理由は不明であるが、 変異型 CJD は平均発症年齢が20歳代と若年層にみられるのが特徴であり、 さらに平均罹病期間の延長が認められる。
ここで一番注目すべきは、 初発症状の違いである。 従来の孤発性 CJD とは大きく異なり、 変異型 CJD は、 10代から20代において様々な精神症状と異常感覚から初発する場合が多いという点である。 これらの症状を認めた場合、 まず精神科を初診するケースが多いと予想される。 つまり、 第一線の精神科医こそが、 変異型 CJD の患者さんを初診する可能性が最も高いのである。 では、 本邦における変異型 CJD 発症の可能性はどうか?図-5に今までの BSE 罹患牛頭数の年度別推移を示す。 英国に始まった BSE が、 いわゆる肉骨粉の輸出に数年遅れてヨーロッパ諸国、 さらには日本を含めた国々に拡散していく様子が見てとれる。 また、 例えば香港の変異型 CJD の患者さんのように、 英国在住歴の長い日本人が数年から数十年と予想される潜伏期間を経た後、 帰国後に発症される可能性も否定できない(図-6)。 今後の日本において、 とりわけ精神科の先生方には若年層の精神疾患の鑑別診断のひとつとして、 変異型 CJD を疑う目を持っていただくことも必要ではないかと考える次第である。
これらの症状は特異的な症状ではなく、 他のどんな病気でも出てくる可能性があるため、 変異型 CJD を診断する基本は除外診断が大原則である。 検査所見としては PSD などの脳波異常も認められないが、 いわゆる pulvinar sign と称される頭部 MRI 所見が非常に有効である。 また、 扁桃腺生検が有効な場合がある。 現在の診断基準に従えば、 確定診断を得るためには剖検による脳の病理検査が必須である。
孤発性 CJD は、 非常に稀ではあるが、 もともと我々の生体内に発現している正常型プリオンが、 一定の頻度で感染型プリオンに変化してしまうため発症すると考えられている。 この頻度は、 年間100万人当り1名程度とされており、 日本全体では毎年100人以上の方がこの孤発性 CJD を発症しておられる計算になり、 実際の患者数にほぼ匹敵する。 言いかえれば、 我々は生物の宿命として、 常に自然発症型の孤発型 CJD にかかる危険を持っていると言える。 これに対し、 BSE によるとされる変異型 CJD の頻度は、 十数万頭の BSE に感染したウシが出回った英国において毎年10〜20人である。 英国の人口は日本の約半分であるため、 孤発型 CJD の頻度は50〜60人程度と推定される。 日本では、 BSE の頭数から考えても、 おそらく英国とは比較にならない程変異型 CJD 発症のリスクは低いと考えられ、 生物として生まれてきた宿命である自然発症型の孤発性 CJD にかかる頻度よりもリスクは遥かに低いといえるだろう。
プリオン病の治療に向けて 現在のプリオン病治療・予防法開発の試みは、 大きく2つのアプローチに分けられる。 一つは、 基礎実験の積み重ねから理論的に導かれてきたアプローチ、 もう一つは、 理論はともかく現在医薬品として承認されている薬を幅広く調べることで、 プリオン病に効果のある薬を見つけ出そうというアプローチである。
前者のアプローチとしては、 PrPSc の鋳型となる PrPC を分解してしまう方法、 ドミナントネガティブ効果を持つ防御型プリオン蛋白を利用する方法、 抗プリオン抗体を用いる方法などがある。 第一の方法に関しては、 PrPSc の材料となる PrPC を分解しても異常が現れないことは、 PrP ノックアウトマウスの実験が既に知られている 12)。 しかし、 この実験結果は、 人間で副作用が表れない事を保証しない。 ねずみでは異常が現れなくとも、 ヒトがヒトである所以の、 ヒト脳の繊細な知能、 感覚などに異常が出る可能性が無いとは断言できない。 第二の防御型プリオン蛋白質による、 自らのみならず共存する変異を持たない野生型 PrPC にも防御効果が発揮される現象は、 ドミナントネガティブ効果と呼称されている 13)。 実際に、 この防御型プリオン蛋白を発現させた transgenic mice による実験では、 プリオン病の発症予防が可能であることが既に確認されている。 今後の問題はこれらの防御型プリオン蛋白を、 いかにして体細胞レベル、 すなわち小児や成人の成熟脳に大量に発現させるかといった点である。 第三の方法は、 PrPC を認識する抗プリオン抗体を先に PrPC と反応させることで、 PrPSc と PrPC との反応を阻害し、 結果的に PrPSc の増殖を抑制しようとするアプローチである 14)。 実際に培養細胞を用いた実験では、 抗プリオン抗体によって PrPSc の増殖が押さえられ、 最終的には PrPSc が消滅してしまうことが確認された。 また in vivo においても、 既に抗プリオン抗体を発現するリンパ球を増殖させる事での感染予防効果が確認されている。
別のアプローチとして、 作用機序や薬の効く仕組みはともかく、 今ある医薬品の中からとにかく有効な薬物を見つけようという観点から同定されてきた薬物としては、 抗マラリア薬、 抗精神病薬、 泌尿器系の薬剤、 クロロフィル誘導体、 といった薬物が既に同定されている 15,16)。 これらの中の複数の薬剤に関しては、 カリフォルニア大学サンフランシスコ校、 九州大学や福岡大学等で、 臨床治験が開始されている。 これらは、 既に医薬品として認可を受けているため、 倫理問題等がクリアされ、 実際に効果が確認されれば、 そのまま治療にすぐ使える可能性がある一方で、 まだ症例数が少なく効果を確認するのが難しいという問題がある。 平成13年夏、 変異型 CJD の患者さんにマラリアの薬が試され、 その患者さんが歩けるようになり、 ご親族と会話が交わせるようになったと言うセンセーショナルな話題が世界を駆け巡ったが、 本当にこれらの薬剤が CJD に有効と言えるのかという問いに対しては、 今後の慎重な検討結果に期待したい。
文 献1) Will RG, Ironside JW, Zeidler M, Cousens SN, Estibeiro K, Alperovitch A, et al. A new variant of Creutzfeldt-Jakob disease in the UK. Lancet 347 : 921-925, 1996
2) Scott MR, Will R, Ironside J, Nguyen HO, Tremblay P, DeArmond SJ, et al. Compelling transgenetic evidence for transmission of bovine spongiform encephalopathy prions to humans. Proc Natl Acad Sci U S A 96 : 15137-42, 1999
3) Prusiner SB. Molecular biology of prion diseases. Science 252 : 1515-1522, 1991
4) Prusiner SB. The prion diseases. Sci Am 272 : 48-57, 1995
5) Prusiner SB. Prions. In: Fields BN, Knipe DM, Howley PM, editors. Fields Virology. 3rd ed. New York: Raven Press; 1996. p. 2901-2950.
6) Prusiner SB, Peters P, Kaneko K, Taraboulos A, Lingappa V, Cohen FE, et al. Cell Biology of Prions. New York: Cold Spring Harbor; 1999.
7) Bolton DC, McKinley MP, Prusiner SB. Identification of a protein that purifies with the scrapie prion. Science 218 : 1309-1310, 1982
8) Chesebro B, Race R, Wehrly K, Nishio J, Bloom M, Lechner D, et al. Identification of scrapie prion protein-specific mRNA in scrapie-infected and uninfected brain. Nature 315 : 331-333, 1985
9) Bueler H, Aguzzi A, Sailer A, Greiner R-A, Autenried P, Aguet M, et al. Mice devoid of PrP are resistant to scrapie. Cell 73 : 1339-1347, 1993
10) Hsiao KK, Scott M, Foster D, Groth DF, DeArmond SJ, Prusiner SB. Spontaneous neurodegeneration in transgenic mice with mutant prion protein. Science 250 : 1587-1590, 1990
11) Will RG, Zeidler M, Stewart GE, Macleod MA, Ironside JW, Cousens SN, et al. Diagnosis of new variant Creutzfeldt-Jakob disease. Ann Neurol 47 : 575-82, 2000
12) Bueler H, Fischer M, Lang Y, Bluethmann H, Lipp H-P, DeArmond SJ, et al. Normal development and behaviour of mice lacking the neuronal cell-surface PrP protein. Nature 356 : 577-582, 1992
13) Kaneko K, Zulianello L, Scott M, Cooper CM, Wallace AC, James TL, et al. Evidence for protein X binding to a discontinuous epitope on the cellular prion protein during scrapie prion propagation. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 94 : 10069-74, 1997
14) Peretz D, Williamson RA, Kaneko K, Vergara J, Leclerc E, Schmitt-Ulms G, et al. Antibodies inhibit prion propagation and clear cell cultures of prion infectivity. Nature 412 : 739-43, 2001
15) Doh-Ura K, Iwaki T, Caughey B. Lysosomotropic agents and cysteine protease inhibitors inhibit scrapie- associated prion protein accumulation. J Virol 74 : 4894-7, 2000
16) Korth C, May BCH, Cohen FE, Prusiner SB. Acridine and phenothiazine derivatives as pharmacotherapeutics for prion disease. PNAS 98 : 9836-9841, 2001
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